another

緑や紫や黒や橙のまだら模様。
そんな、どろどろに濁った意識から急速に覚醒する。


がばりと顔をあげる。机に突っ伏したまま眠ってしまっていたようだった。外はもう随分と暗い。
まだ半分眠ったままの頭を必死に回転させて、ここが研究室の一室だということと、自分は資料を読みふけっているうちに寝落ちてしまったことにようやく思い至った。

変な姿勢で眠ってしまったからか、体の節々が痛む。ぐっと背伸びをすると、腕から背中からぱきぱきと嫌な音が響いた。
と、背中から何か滑り落ちたのを感じて足元を見る。……毛布だ。拾い上げて、机の魔法ランタンに触れて明かりをつける。

何となく眺めた毛布の端によく見知った名前が刺繍されているのを見つけて、ぎょっとする。と同時に、とても気まずい気分になってしまった。
気まずくなるのはその名前の持ち主のせいではなく、むしろ自分自身が全面的に悪いからである。彼女に対して行った、数々の鼻持ちならない言動や嫌がらせ。大事に至る前に周囲の叱責や忠告や説教のおかげで取り返しのつかないことをする前に反省できたとはいえ、そして彼女本人から許されたとはいえ、やはりどうしても居心地の悪いものを感じる。
……それらも含めて、向き合っていかなければいけないということか。


「あ、起きた?」

いきなり掛けられた声に驚いて振り返る。
少し眠たげな様子の少女は、同僚のエステルだった。
両手には、湯気の立つマグカップがひとつずつ。引き戸だからって、ドアを足で開けたな?……行儀の悪い奴。


温かいココアを啜りながら、魔導ゴーレムの運用について、少しだけ意見を出し合った。メニャーニャがいてくれればもう少し話が広がったかもしれないが、あいにく彼女は多忙だ。それに、やはり自分は未だに距離を置かれてしまっている。……自分のしたことを思えば、当然といえば当然ではあるが。

「まあ、元々馴れ合うようなのは得意じゃない子だけどね~。でも、あれでいて、凄く優しいんだよ、メニャーニャは」

そうだろうなと思った。
ここでは、誰もが優しい。自分の過ちを受け入れてくれて、自分に居場所を与えてくれる。
有り難いと同時に、何かを忘れているような気がして不安にもなった。

ふと会話が途切れて、しばらく2人並んで資料の山を見つめていた。
ココアがなくなっていることに気付いたエステルが、おかわりをいれてくる、と言いながら席を立つ。

机の隅に適当に畳んで置かれた毛布を畳み直していると、自然と言葉がこぼれた。

「これ、返してこなくちゃな。……あ、今日はもう遅いか。明日にでも。礼に何か茶菓子でも持って行こうかな?そういえば、何が好きだったっけ?」

振り返ったエステルが怪訝な顔をする。自分は何かおかしなことを言っただろうか。心遣いに対して礼を言うのは、当然のことだと思うが。

「それに、何だかまだ色んなことをちゃんと謝れてない気がするしな……。なあエステル、俺はどうすればいいと思う?」

今度は、彼女の瞳は驚愕に見開かれた。

……何かがおかしい。
何かに急き立てられるかのように矢継ぎ早に口をつく言葉も、エステルの様子も。
どこか夢うつつだ。そういえば頭がまだぼんやりする。最近、そんなに寝ていなかっただろうか……?







まっすぐな彼女の視線を正面から受ける。
何故だか彼女の眼差しが、ひどく遠い。なんだこれは。
ふと、自分と彼女の間を分厚い硝子が隔てていることに気付く。ほんの少し青みを帯びた硝子のせいで、白い彼女の顔がますます白く見えた。

ぐっ、と視界が狭まった。
何か大きな鉄の箱の中に閉じ込められているかのような感覚がある。自由に身動きが取れず、ただただ困惑した。
硝子越しのエステルの表情が悲痛に歪むのが見える。

(だって、なんで、あんた……)

くぐもった声は遠い。
ずっと遠くに隔たっている。
近くにいるように感じるが、そうではないのかもしれない……。

(なんで、もっと早く……)

泣きそうになる彼女に、おい待て、と声をかけた。かけたつもりだったが、喉が貼りついて声が出ない。
女に泣かれるのは御免だ。特にこいつは、泣かせたくない。泣かせてはいけない。

透明なものが溢れそうになる白い目元を慌てて拭ってやろうとしたが、両腕は動かない。よくよく見れば、動かないどころか溶けて無くなっていることに気付く。




………
……………




どろりと潰れる緑や紫や黒や橙のまだら模様と混ざり合って溶けていく意識の中で、俺はようやく理解する。



(ああ、そうか)



(俺はもう――)