蕾む恋

僕の恋人になって欲しい。



そう告げると、グレオニーはみるみるうちに首筋まで赤くした。

「え、いや、レハト、それって、その……!」

オロオロしているグレオニーをまっすぐに見つめながら再び述べると、彼は言葉に詰まったように静かになる。

「……そ、そういうこと、ここで言うか?」

暫しの沈黙の後に小さく呟いた彼が、僕のすぐ側の椅子に腰掛けているハイラをちらちらと伺っている。
僕が困惑してハイラに目線で問えば、ハイラはぷっと噴き出した。

「ちょ、ちょっとグレちゃん、話聞いてた?」

肩を震わせながら目尻を拭うハイラを横目に見ながら、僕の意図が伝わっていないらしいグレオニーに順を追って説明することにした。

僕は成人してから、城下に出られるようになった。出歩ける範囲は限られているけれど、自分で好きな所に行って、好きな物を見られる。
最近は、商店が居並ぶ大通りがお気に入りでよくその辺りに足を運んでいる。中でも1番大きな菓子屋は、あちこちから珍しい菓子が集まって来ていて、見ているだけでも飽きない。
大きな店なので何人も衛士が雇われているのだが、通っている内に、その中の1人からしつこく言い寄られるようになってしまったのだ。

その人に諦めて貰えるよう、僕の恋人のふりをして欲しい。そう思って、グレオニーに声を掛けたのだが……。

そこまで説明して彼の顔を伺うと、実に複雑な表情をしている。どうやら先程の狼狽えた様子は、「恋人になって欲しい」という言葉をそのまま受け取ってのものだったらしい。弟分の友人から唐突な告白をされれば、誰だって動揺してしまうだろう。

笑い過ぎて咳き込むハイラの背中を撫でてやりながら、次の主日ということで話をつける。
釈然としない表情のまま、グレオニーは曖昧に頷いた。



当日は、朝から晴れていた。
グレオニーが外出するのに珍しいこともあるものだと僕たちを冷やかす同僚たちに釘を刺す。
僕はさして気にはならないけれど、仮にも寵愛者と深い仲だと囃し立てられるのはグレオニーにしたら堪ったものではないだろう。

少し厳しめの口調で訴えるも、代わる代わる頭を撫でられて終わりだった。成人してからも相変わらず弟扱いされるのは不満だが、ここでやりあっている暇はない。

身の置き場がないのかそわそわし始めたグレオニーの腕を引いて、僕は城門へと向かった。


門を潜れば、青々と広がる空。
フィアカントきっての雨男と一緒なのでこの晴天がいつまで続くかは分からないが、せめて晴れている間だけでもお出かけ気分を味わいたい。

というわけで、城下に入った僕たちは目当ての店を終点にして、色々と見て回ることにしたのだ。

「晴れて良かったよなぁ」

グレオニーは先程から天気の話ばかりしていた。
もう天気を気にするのはいいから何か楽しいことを話そうと提案するも、一つ二つ他愛ない言葉を交わせば沈黙が降りる。やがて僕が天気の話を心底拒んでいることを察したのか、静かになってしまった。
落ち着かない様子で辺りを見回したり自分の手のひらを見つめたりしているグレオニーの横顔をじっと見つめていると、はっとしたようにこちらを向き頬を上気させる。……見ているだけなら、とても面白い。

顔を背けて後ろ頭を掻きながら立ち止まってしまったグレオニーの手を引くと、何やら言いたそうにもごもごしている。
仕方がないので、声を掛けて促す。

「え、ええと、その……手とか、繋いだ方がいいんじゃないか。ほら、一応、恋人同士ってことになってるんだし……」

恋人のふりをするといっても、目的地はまだ先だ。今からそんなことをするのは少しばかり気が早いんじゃないだろうか。
僕がそう言うと彼は一瞬言葉に詰まったものの、ずいと身を乗り出して熱弁し始める。

「で、でもなレハト!今からやっておいた方が、その、向こうに着く頃には自然な感じに見えてるんじゃないかなって……」

そういうものなんだろうか。僕はその手のことはいまいち分からないけれど、グレオニーが言うんならそうした方が良いのだろう。
頷いて彼の大きな手を取る。
なぜかとても緊張しているらしく、手汗がひどい。

仕方ないので、グレオニーの手の甲に手のひらを添えるようにして手を握れば、息を詰める音が聞こえた。少し僕から離れるそぶりを見せたので、添えた手をしっかりと握り込む。

「レ、レハト……」

何か言いたげにこちらを見るグレオニーを真正面から見返して、文句を封殺する。さすがに手の握り方までこだわる必要があるとは思えない。
手を引いて促してみるも添えているだけでは上手くいかないので、彼の腕に自分のそれを絡めた。グレオニーは更に体を強張らせていたが、こんな大男がいつまでも道端で立ち止まっていては他の通行人の邪魔になってしまう。僕は仕方なく、かさばるグレオニーを引き摺って歩き出した。


主日の城下の大通りは賑やかだ。天気もいいのであちこちの店先に色々な物が並び、それを物色する客で溢れている。
気になった店の前でうろうろしたり店に入ってみたりしているうちにグレオニーの方も肩の力が抜けたようで、先程よりも随分と会話が弾むようになった。

「あの店、いい感じじゃないか。行ってみるか?」

頷いて、逞しい腕にしがみつく。恋人らしく頬をくっつけて縋りついてみると少し狼狽えたが、すぐに立ち直ったようだった。
自分のことに巻き込んで恋人のふりなどさせてしまい少し申し訳なく思っていたが、グレオニーは割と乗り気だ。そんな彼を見て、なんだかんだで僕も楽しんでいた。

僕とグレオニーが向かった先はこじんまりした布屋だった。店内に入ってみると、色とりどりの布や装飾品が所狭しと並べられている。布に施された刺繍は巧みで、落ち着いた佇まいを見せている。なんというか、グレオニーらしからぬ店選びだ。
布は見ていて楽しいが買うわけではないので流し見し、服飾品を見ることにする。ざっと見回したところ髪飾りから軽めの剣を提げるための帯紐まで、布製の服飾品なら何でも揃っている様子で、店内にある布から帯や髪飾りを作るということもやっているらしい。

「あの、レハト。これとか、どうだ?」

じっくり眺めていると、横合いからグレオニーの手がぬっと現れた。その手には、細やかに編まれた髪飾り紐が乗っている。
ごつごつした手のひらには不釣り合いなそれを取り上げて目の前に翳しながら、誰に贈るつもりなのかと問うてみた。彼自身がこういうものをつけるとは思えないし、綺麗ではあるが少し人を選ぶような繊細なつくりだからだ。

「あ、いや、その……せっかくだし、レハトにと思って。……好みじゃないかな?」

意外なこともあるものだ。恋人ごっこ効果だろうか。
普段、訓練ばかりしている身であまり外出もしないのでこういった物には縁がない僕だが、せっかくグレオニーが男気を見せているのだ。貰えるものは貰っておこう。強気な数字が書かれていた値札も、見なかったことにした方が良いだろう。

代金を払ったグレオニーが、おもむろに僕の頭に手をやって髪の毛をつまむ。飾り紐をつけてくれるつもりなのだろうが、やけに力が入っているので引っ張られて痛い。

「あ、す、すまん!」

抗議の声をあげた僕から慌てて手を離して謝り倒すグレオニーに、髪に引っかかったままの飾り紐を渡す。丁寧にしてくれと頼めば、申し訳なさ半分嬉しさ半分といった様子で再び手を伸ばしてきた。


目的地はもうすぐだ。
そろそろ昼時ということで、人が多くならないうちに昼食を取った。

「あのさ、レハト。例の人の事なんだけど……」

腹も満ちて人心地ついていたところ、おもむろに話を振られる。どうやらあの衛士のことが気になるらしい。

僕もあまり多くは言葉を交わしていないのだが、真っ直ぐな心根の持ち主らしいことは分かっている。
ある意味ではグレオニーと似た気質の人物であるが、唯一違うと言えばその押しの強さだ。……あの真摯な瞳と熱っぽい口調に押し切られ危うく出掛ける約束をするところだったという情けない事実は、心の中にしまっておいたほうが良いだろう。

「ええと……レハトは、迷惑しているのか?」

妙な質問に片眉を上げる。
迷惑していなければ、グレオニーにこんなことを頼む訳がない。そう言うと、どこかほっとしたような表情を浮かべた。

「いやさ、話聞いてると悪い人じゃなさそうだから……」

悪い人でなくとも、男女の付き合いとなれば双方の気持ちが大切だと思う。

「……うん、そうだよな……」

どこか歯切れの悪い言葉に首をかしげていると、通りの前方に目的の店の屋根が見え隠れし始めた。
尻込みしているのか歩調が緩まるグレオニーの腕を強く引いてやる。何か言いたげだったが、大人しくついてきてくれた。



「いらっしゃい!」

立派な木戸をくぐると、いつものように威勢のいい声が聞こえる。広い店内は親子連れや若い人たちでごった返していた。

「お嬢ちゃん、また来てくれたのか!」

僕に気づいた恰幅のいい店主が、懐っこい様子で寄ってきた。一つ二つ言葉を交わしてから、少し離れた場所で落ち着かない様子のグレオニーに気付いたのか、おやという顔をした。

「お連れさんは……兄ちゃんかい?」

どこか遠慮がちの問いに否と答える。彼も兄だとは思っていないらしく、複雑な表情でそうかと呟いた。

グレオニーと一緒に店内を見て回っていると、隅の方で警備している例の彼の姿が目に入った。向こうも僕に気付いたらしく、ぱっと笑顔になってこちらへ向かってくる。

「レハトさん、お久しぶりです!」

ほとんど駆け寄るようにして僕の側までやって来た彼は、そのまま僕の手を取ろうとして――笑顔のままぴしりと凍り付いた。
いつの間にか真横へ立っていたらしいグレオニーにちらりと目をやる。……険しい表情をした彼が、目の前の人物を睨みつけて牽制していた。

「どうも、こんにちは。……レハトがいつもお世話になってるみたいで」
「ああ、ええ、どうも。……お兄様で?」

僕は、言葉に詰まってしまったグレオニーを横目に一歩踏み出して、そうではないと説明した。
彼は僕の恋人で、ずっと前からお付き合いをしている。結婚も視野に入れている。そう伝えると彼は一瞬押し黙った後、強張った笑顔で口を開いた。

「……そうですか、おめでとうございます」

今日は式に向けての準備の下見に来ているともっともらしい理由を付け足して、一言二言交わす。もちろん会話が弾む訳も無く、微妙な沈黙が流れる中、彼が口を開いた。

「あの、レハトさん。せっかくですし、ちょっと二人きりでお話をしたいんですが」

僕の隣にちらりと目をやった彼が、それでも話すときは僕を真正面から見据えながら、そう提案してきた。
……正直、気乗りはしない。けれど、このまま有耶無耶にしてしまうのも気が引ける。僅かばかり考えて少しの時間なら、と承諾しようとした時。

「すみません。せっかくなんですけれど、予定が押してるんです」

それまで黙っていたグレオニーが、体ごと僕たちの会話に割り込んで来た。僕の前に立ち塞がるようにして彼を見下ろしている。彼も決して小柄という訳ではないが、王城衛士の中でも大柄なグレオニーと比べれば体格も背も小さく感じるのだ。

「……俺は、レハトさんと話しているんですけど。少しだけでも駄目ですか、レハトさん」
「駄目です。レハトは忙しいんです」

取り付く島もないグレオニーの語調はどこか荒っぽかった。しつこく僕に話しかけて来ようとする彼とそれを遮断しようとするグレオニーの間で、ぴりぴりと空気が張り詰めた。このままではまずい。
僕は慌てて前に出て、申し訳ないけれど時間がない、とやんわりと断る。話をした方がいいかとも思っていたが、もうそれどころではない。僕の言葉でやっと納得してくれたらしく、彼は不承不承といった様相でようやく引き下がる。
そして僕たちは、気まずい雰囲気のままその場を後にすることになったのだった。



早足に歩くグレオニーをほとんど走りながら追いかける。走るのが億劫で呼びかけると、ぴたりと足を止めた。
振り返った彼の苛立ったような表情と鋭い目付きに思わず口を噤む。

「……あ。ごめん、レハト……」

僕が身を竦めた理由に見当がついたらしく、顔を背けながら謝罪の言葉を口にしたグレオニーの側に寄る。
何と声を掛ければ良いか分からず下から顔を覗き込んだ。既に険しい表情は消え失せ、恥ずかしげに目を伏せている。
僕の方こそ、私情に巻き込んだ上に嫌な思いをさせてしまったと謝ると、慌てたように捲し立てた。

「い、いや、俺が勝手に機嫌悪くしただけだから。俺の方こそ、ごめんな」

見上げたグレオニーの表情は、どこか暗い。弱々しく笑顔を浮かべようとして、上手くいっていない。気にしていない、僕こそ、とかぶりを振ったところで、うなじの辺りに冷たいものが当たった。思わず空を見上げる僕につられて、グレオニーも頭を上げる。

「あ……」

暑く雲に覆われた空から、細かな水滴が降ってきている。……雨だ。

僕がぼんやり見上げている側で、グレオニーが何やら鞄をごそごそやっている。視線をそちらにやると、ちょうど彼が雨除けの外套を取り出した所だった。

「……やっぱり、降ってきちまったな」

外套を僕の頭からすっぽり被せながら、独り言のように声を漏らす。見たところ彼の分の外套は無いようだ。平気かと問えば、大丈夫、と返ってきた。

「持ってきておいて良かった。……レハトは大丈夫か?寒くないか?」

降っているといっても、小雨だ。体の丈夫さには自信があるので、この程度で体調を崩すということは無い。そう伝えると、ほっとしたような表情で雨避けのフードの隙間に手のひらを差し込んできた。
暖かくてごつごつした指先が僕の頬に触れ、包み込んでくる。その心地よさに自然と頬を擦り付けていると、慌てたようにグレオニーが手を引っ込めた。

「あ、いや、その……」

不思議に思って目で問う僕にもごもごと吃っていた彼だが、僕の視線に根負けしたのか呼吸を整えようと大きく深呼吸する。

「…………とりあえず、歩こうか」



王城への帰路を急ぐうちに、雨は止んでいた。雨上がり特有の土の香りが芳しい。
僕はグレオニーに改めて今日のお礼と、巻き込んでしまった事へのやんわりとした謝罪を告げた。親友だからといって甘え過ぎた自覚はある。

「いや、気にしてないから。……俺も、久しぶりにレハトと出掛けられて楽しかった」

良かった。ほっとして、無意識のうちに彼の腕を取る。しっかりと絡めたところで、じわじわと顔が熱くなるのが分かった。
腕を解いて、グレオニーから距離を置く。もう恋人のふりをする意味などないのに、考えなしの自分に呆れてしまう。

「別に……いいぞ。俺、その……嫌じゃないし……」

ぎこちなく返すグレオニーも顔が赤い。……そんな風に反応されると困るのだけれど。

なんだかむず痒い。いつもみたいにグレオニーの隣を歩いているだけなのに、とても落ち着かなくなってしまった。グレオニーのせいだ。
……けれど、僕だって嫌ではなかった。

「あのさ、レハト」

ぐるぐる巡る思考に割り込んできたグレオニーの声に、思わず肩が跳ねる。
グレオニーがぴたりと立ち止まり、僕もつられて足を止める。

「あの……レハトさえよければ、なんだけど。また、今日みたいに出掛けないか?……い、いや、恋人みたいにって訳じゃなく、こう、いつもよりもっと遊びを兼ねてっていうか……」

もごもごと言い訳じみた事を言いながらも、熱のこもった視線はじっと僕に注がれている。どこか必死さが漂う様子の彼に気圧されて反射的に頷いてしまったけれど、特に後悔はない。

僕の答えを聞くや否や破顔したグレオニーの笑顔の眩しさといったら、まるで少年のようだった。


差し伸べると、照れたようにその手を取られる。少し湿っぽく柔らかい風が、僕の頬を撫でた。