薄暗い宿舎の一室。
座り込んだ寝台の上、雨のさざめきを窓の外に聞いている。

昏い表情をしたグレオニーの指先が、少し逡巡したのち僕の頬に触れた。そのまま顎をなぞったそれが首筋を滑り、僕の肌が粟立つ。

「レハト」

呼ばれれば、冴え冴えとする頭とは逆に身体の芯が熱くなった。何かが詰まった喉の奥が、より重くなる。
グレオニーに対する僕のこの感情は何なのだろうか。少し前までは友情と恋の間で揺れ動く、甘いものだったような気がする。

あの日。彼が僕に勝利を捧げるべく出場した最後の御前試合の日から、全てが軋んで噛み合わなくなってしまった。

地面を灼く日差しの下、彼は覚悟を背負って試合場に立っていた。緊張感の中で始まる打ち合い。拮抗する刃の軌跡。軽やかに振り上げられた、彼の剣先。
彼と目が合った時、彼が戸惑いに揺れるのを確かに感じた。彼の僅かな散漫に切っ先をねじ込んで、対戦相手の勝利で決勝戦は幕を閉じた。

勝者に対する喝采が響く。僕はそれを聞きながらただ俯いて、彼の大切なものを踏みにじってしまった事をひどく後悔した。

そして、子どもとしての最後の日、僕に思いを告げながら辛そうに震える彼を見て僕は恐慌した。彼と離れ離れになる恐怖。彼以外に味方などいない石の砦で一生飼われることへの恐怖に思わず口走ったそれは、思い出すのも嫌なほどに身勝手なものだった。

恋人にはなれない。
結婚だってできない。

それでも、側にいてほしい。
貴方の望む通りに女を選んで、貴方の想いを受け止めるから。

泣いて縋って絆して、それでも優しい彼は、それを許容してくれた。……僕なんかの為に。


「レハト」

再び呼ばれて、回顧から引き戻される。僕はいつの間にか、生まれたままの姿になっていた。
見据えれば愛欲の奥に諦観が垣間見える、紅い双眸。彼の太い指が僕のあちこちを滑って愛撫する。

――身体さえ繋げば、僕と貴方が離ればなれになることはないのだろうか。

そう言ってグレオニーに強引に持ちかけた行為は、僕と彼とのずれをより大きなものに変えてしまうだけだった。痛みと、掻き混ぜられる不快感。そして、押し潰されそうな罪悪感。彼は最中はとても良さそうではあったけれど、終えた後に泣きながら僕に詫びた。彼もまた、僕と同じだった。

何度も重なるうちに僕たちは背徳の中に心地よさを見出すようになった。そして僕たちの間の渠は、既に魔の潜む場所よりも深い。

あの頃のもう少しで愛に転じそうな居心地の良いものは、僕の中には残っていない。彼だってきっとそうで、僕を抱く時に漏れる嗚咽は僕への愛しさからではないはずだ。
愛する気持ち。労わる気持ち。憧れ。尊重。共感。あらゆる正の感情が少しずつ削ぎ落とされて、最後に残るのは互いへの歪んだ執着。
ぎこちない口付けも、絡まる手足も、なくなったものを補ってはくれないのだ。


全て終わって一息ついた僕は寝台から起き上がり、床に散らばる衣服の中から鞘に収まった長剣を拾う。見た目よりも重みのあるそれは、僕では持て余してしまう。

グレオニーは僕が成人してすぐに僕の護衛に就いた。何やら上と交渉したらしく、普通の護衛だけではなく――邪魔な人間をどうこうするような仕事も任されている。
その事について彼に何か尋ねた事はないし、彼から何か言われた事もない。ただ、彼の身体から時折香る饐えた鉄の匂いを感じるたびに項の辺りがざわめく。そして、グレオニーはそんな時は決まって乱暴だ。どうせ最後は泣いて許しを乞うくせに、僕の身体を荒々しく暴くのだ。

剣を放り投げて寝台に腰掛けていると、おもむろに後ろから抱きすくめられた。甘い重みが背にのしかかり、グレオニーの体臭と僅かな性臭の混ざる馴染みの匂いが鼻孔をかすめる。

「レハト」

掠れた声。
懇願と躊躇いに震える声。

「側にいてくれ」

僕は答えない。いつものように後ろから回された腕に軽く歯を立てる。やがて、押し殺した嗚咽が聞こえてくる。
……僕たちはいつまでこんな事を続ければいいんだろうか。


雨は、まだ止まない。